日本からNature, Science, Cellの論文が出にくい理由 Black編

ここ2日ばかり綺麗事ばかり書いてきましたが、いよいよ本題。

留学してびっくりするのは、欧米人は大抵9時5時で帰ることである。仕事が立て込んでいるときは夜遅くまで残ることもあるが、1週間も続けば良い方で、それも年に1,2回程度。

一方、日本人研究者は日本でも海外でも、家族がいなければ、朝一番にはじめて夜中の11時12時までやるなんてのはよくある光景。食事と寝ている時間以外全部研究しているという人は結構多い。

で、日本からNature, Science, Cellがアメリカほど出ないのは不思議ではないでしょうか?むしろ、その数は減る傾向すらあるようです。

その理由はいくつかあって、日本はマテリアル作りから始めるのに対して、海外のビックラボは大抵余所のラボからマテリアルを貰って、一番楽で一番大きな結果が得られる最後の実験だけやるなんてのは良くある話。もちろん、全く新しい系を一人で立ち上げる猛者もいないことはないですが、稀です。

例えば、ノックアウトマウスって、二つ難関があって、一つはベクター作り、これは時間が解決してくれる。もう一つは実際にマウスを作るときで、これも最近は比較的確実な方法が確立されてきている。それでも、時間がかかるのは事実で普通にやれば2年は絶対にかかるし、実験を始められるのは大抵早くて3年目だ。

で、海外のノックアウトの良い仕事のほとんどは余所から貰ってきたマウスでやったビックラボの仕事。作るのは大抵、中堅ラボがラボの命運をかけて作っているというのが実情ではないだろうか。全部自分でやるラボもあるけれど、その場合、6年8年仕事になる。

この点においても日本のラボは横のつながりが弱いので、互いにマテリアルを提供し合わないという2重の欠点がある。それでも、オリジナルなマテリアルを作っていれば、トップジャーナルは目指せるはずであるし、何より実験にかけている時間が欧米人の倍とは言わないまでもかなり多い。手先の器用さや日本人の神経質な厳密さを加えるとほぼ倍くらいの実験量はしているはずである。


もう一つよく言われるのは、英語である。日本人は世界中で一番英語が苦手と言っても差し支えないだろう。
でも、これもデータが本当によければ、エディターはrejectできないはずである。


また、情報戦に負けているというのもよく聞く話。
こっちのボスは朝から晩まで電話しまくっていると一昔前まで言われていた。今だとメールだろう。互いに雑誌に投稿された論文を査読するわけだけど、友達のやっていることと似たことをしている論文が日本から送られてきたら、その論文のコピーを丸ごと送るなんてのは日常茶飯事(もちろん、本来は禁止されている行為)。
トップジャーナルを狙うにはスピードも大事ですから、マテリアルが揃っているビックラボがその論文にいちゃもんをつけて、再投稿に手間取っている間に別の雑誌に同じ趣旨の論文を投稿なんてのもよくある話。但し、これは対日本だけでなく、欧米のラボ同士の戦いでもあるので、別に日本が駄目な理由ではないし、そもそもオリジナルなマテリアルを持っていれば、簡単にはマネ出来ません。


つまり、オリジナルなマテリアルを作れば、欧米人の倍の努力をしているわけだから、本来なら欧米ほどではなくとも、ある程度コンスタントにNature, Science, Cellが出るはずなのです。であるにもかかわらず、何故出ないのか?


ここである知り合いの学生さんの業績を紹介。
この学生さんは医学生でとても優秀なのは間違いないのですが、実験に生まれて初めて取り組んで4年間での業績です。特に全く初めての技術を使っているわけではありません。
First Author Neuron 3報、JNS 1報、Review 3報
First以外のもの CNS 3報、Neuron 1報、Nature Neuroscience 3報、JNS 6報など計25報
日本の地方大学なら教授になれそうです。

この業績をみて、ほとんどの日本人研究者は愕然とするはずです。小学生が世界チャンピオンにボクシングを挑んでいるくらいの差を感じるはずです。


留学してしばらくすると、気付くのはこっちの人はまずストーリーありきで実験を組んでいるということです。

あるストーリーがつながるように関連するデータを積み上げていく。その積み上がり方=インパクトファクターと言っても過言ではないでしょう。

で、日本はそうじゃない傾向があるから駄目だと言うわけです。

私もね。そう思っていました。去年までは。


サイエンスって、やっていればわかりますが、アプローチの数が多いほど、絶対仮説に反するデータが出てくるんです。そして、トップジャーナルほど、複数のアプローチを求めてきます。

もし、仮説に反するデータが取れたらどうするか?

普通の日本の科学者の場合、二つのデータを見比べて、どちらが信用出来るか、再度コントロール実験を組み直したり、別のアプローチでその違いの理由を探索したりします。


こっちで成功している人はこういう時、どうするか。仮説に反するデータは無視するんですね。もし、その実験系が主張するストーリー上絶対しないといけない場合、今あるデータで小さい論文にまとめるか、諦めるといったアプローチを取りますが、別の実験系があったり、そこを避けてストーリーが組めそうなら例え、その実験結果で100%ストーリーが崩れていても無理矢理まとめます。
汚いデータや外れ値を、科学的でない理由で排除するのもよくある話です。

だって、変と思いませんか、徹底的に細部にこだわる日本人でさえ、どうしてもデータはぶれるのに、科学の単位すらあまりよくわかっていないことのある欧米人がとんでもなく綺麗なデータを出すわけです。

では、何故そんなことをするのか?

それは2日前に書いたサイエンスがゲームだからです。前日に書いたようにこちらではトップジャーナルを出し続けないとクビになります。いつも崖っぷちなんです。
そして、サイエンスはゲームなんです。方法論には限界があって、どんなに真実と思っていても、いつか逆転することは十分あり得るわけです。
それならば、ストーリー=自分の主張に都合のよいところだけでパッケージングしても問題ないと割り切れるわけです。

Natureに載った論文の半分は後々間違っていることがわかるという話があります。
悪意のある捏造が感覚的に0.1%程度しかないのに何で半分も嘘になるんでしょうか?

これは欧米人が議論するように、論文発表も仮説の議論の場に過ぎないからです。
新しい真実を報告し合う場所では決してないのです。

これが、2日前に書いた
「ほとんどの日本人研究者と欧米で成功している研究者の決定的な違いの元となる認識の違いがここにあります。」の意味です。


このメッセージを読み違えた人達が日本にもいます。
某大○大学から発表される一連の黒い論文達です。
日本で毎年Nature, Scienceを出しているラボは結構真っ黒という噂が日本ではあります。

これは留学して欧米のこういう研究スタイルを解釈し間違えた結果とも言えます。

欧米のアプローチは一見黒く見えますが、実はグレーの場合の方が多いのです。

何でアメリカでわざわざ倫理の講習があるんでしょうか。日本だと各ラボで普段から教授の姿を見て学ぶようなことですが、こちらではいちいち講習があります。捏造するなよといったものです。これって、口ではやるなよと言っていますが、本当はやり過ぎるなよというのが真意と言ってもよいです。

これって、日本のビジネスシーンや政治のやり取りでも似たようなことがありますよね。
例えば、二酸化炭素削減でも、口では綺麗事に賛同しても実際は真逆のことをやって、その言葉を真に受けた日本だけ貧乏くじを引くというやつです。


では、日本も同じようにグレーゾーンを上手く使い分けるすべを覚えるべきなんでしょうか?

個人的には今のままでよいと思っています。イタリア人のいい加減さ、南米系の時間のルーズさ、ユダヤ人のずるがしこさ、中国人や韓国人の悪魔に魂を簡単に売る姿を見ていると日本人だけですよ。侍魂で己の身を切ってでも、真実を追究するのは。

ある意味、本当のサイエンスがあるのは日本だけと言っても過言ではありません。
ただ日本はもっと横のつながりがあった方が良いし、マテリアルや機器を共有し合う仕組みは作った方が良いでしょうね。