【コラム】日本の研究者の一番イタイところ

別に釣りじゃなかったのですが、タイトルの真意が伝わっていないというか、読んでみたら日和って自分が書いていなかったのでもう少しちゃんと書いてみましょう。

まず、アウトリーチが足りない部分に関しては現実には雑用が多すぎて手が回らないというのが一番の理由です。これに関しては現在改善するために政府の人たちが動いてくれています。しかし、そもそも私が指摘したかった部分は実はその問題ではありません。


日本の研究者の一番イタイところは
税金で研究し、税金で給与がまかなわれていることに対する意識の欠如です。

さらにそれを自分たちは優秀だから当然だと思い込んでいるところです。

実際は、一般社会に出たら、社会適応出来ない、偏屈で、頑固で、融通の利かない使えない人間なのです。でも、研究に関してだけは強い情熱とやる気と遂行能力がある。
本当に優秀なら別にポスドクは企業から引く手あまたになるはずだし、そもそも税金なんかに頼らなくても食べていけるはずです。

自分たちは欠陥人間で、昔ならパトロンがついてなんとかやっていけたものを現代は制度上国民から生活費も研究費も恵んでもらってやっていけている。立場的には乞食と一緒ですよ。そういう意識がないということが真意です。

恐らくポスドク問題は、自分たちはそういった駄目人間ですからという自覚から始めないと解決しないでしょう。自分たちは優秀で、それなりの立場の職業にありつけるはずだ、ありつけるべきだと考えているから解決しないわけです。

自分たちは社会に通用しない駄目人間だ、しかし、一芸に秀でている部分があり、そこに対する自信と信念だけは誰にも負けない。それを誇りに思えるという部分が科学者が一番拠り所にすべき立ち位置なのですよ。


では、なんで自分のことを優秀だと勘違いしてしまうんでしょうか?
一つは大学に残るようなヒトはほとんど一般社会の経験がありません。
一度教授になってしまうと、誰からも批判されませんし、周りはみんな自分のことを先生と呼びます。その分野で自分より詳しいヒトはほとんどいませんからその分野の話になると圧倒的に有利になると言うのもあります。

さらに学術社会ではインパクトのある仕事が良い仕事として評価されます。特に病気を治す、治す技術基盤になる仕事は高く評価されます。実際、世の中で社会のためになっていることが明示的な仕事なんて早々ありませんから、その仕事は社会的にも役に立っているように見えます。

結果、凄い仕事をしたヒトは、ヒトとしても素晴らしいヒトであるかのように社会から評価されているように感じるようになります。

しかし、実際そうではないことがほとんどです。日本でヒトとして人格的にまともな教授に会ったことがほとんどないという研究者は多いのではないでしょうか。(臨床には逆に人格的に素晴らしすぎるヒトもちょこちょこいます。)
ところが、その教授本人は誰からも批判されませんから、裸の王様状態で自分の人格的な欠点なんて見えないわけです。

科学者はみんなその教授の席を狙って頑張っているわけで、立場がポスドクだろうが、学生だろうが、結局同じ道を歩んでいることに変わりないのでこれは教授だけの問題ではありません。

この点、アメリカではこの部分が上手に分けられています。
アメリカでは互いにファーストネームで呼び合います。これは上司と部下でも同じです。
日本と同じように教授は人事権も、仕事の内容も全部決める権利を持っていますが、ファーストネームで呼ぶことでそれら以外については別にどちらが上でどちらが下とは決まっていないという暗黙の了解があります。だから、人格的におかしなヒトがいないかというとそうではなくて、やっぱり日本と同じように変な人は沢山います。しかし、日本みたいにイタクはないわけです。