【コラム】上司(PI)は部下にどう接するべきか

最近、あるPIの先生が、最近の子は怒ってばかりでは駄目で、褒めないといけないらしい。
できるかどうかわからないが、やってみようなんてことを書いていた。

部下にどう接するかは管理職になったらどうしてもぶつかる問題。

特にアカデミアの世界は、密室になりやすく、アカデミックハラスメントが多く存在する。アカハラで自殺する学生さんも沢山いるけれど、ほとんど闇に葬られているのが実情だ。
それは死んだ学生がもう生きていないから本人の弁は聞けないし、親元を離れている学生さんだと、失恋を苦に死んだのか、アカハラで死んだのか、いじめで死んだのか、さっぱりわからない。友達も先生も原因につながるヒントは決して与えてくれない。


日本のPIにありがちなのは「なんでこんなこともできないんだ」と、「自分が学生の頃だったら絶対こんな失敗はしない」と怒ったりするわけですが、その時にイメージされる自分の学生時代はある程度経験も積んで出来るようになったときの自分であり、怒っている相手の学生はまだぺぇぺぇの学生だったりすることも多々あります。そもそも、優秀だったから自分がPIになれたわけで、そんな人より出来が悪いのは当たり前です。
また、逆に学生やポスドクの方が、PIより優秀な場合も怒り出したりすることがあります。
この辺は以前書いた人が怒る理由が根底にあります。


さて、PIとポスドク・学生、上司と部下の関係について再度確認してみましょう。実際に仕事をするのは部下で、それをとりまとめるのが上司になります。とりまとめたものが評価されて、予算を貰えたり、利益が発生します。すると、その次のステップとしてその上司が昇進したり、給料が上がったり、もっと大きな予算が貰えたりします。その時にそれらのボーナスに対して部下の名前は一切入りません。

一方、部下はその時にした仕事を次の仕事や職を探すときに評価して貰いますが、必ずしもその時の上司と同じ立場になれるわけではありません。分担した仕事は一部でしかないというのも理由です。アカデミアの場合だと、およそ10%位の人しかPIにはなれません。


つまり、部下がした仕事の100%=上司の仕事として評価される=上司の給与、社会保障、社会的身分全てを向上させることに役立ちます。
部下がした仕事は無駄なく、上司のためになります。

一方、部下にとっては将来的に10人の内1人しか、念願の昇進はできません。
つまり、部下がした仕事の10%=部下が昇進することに役立つ、でしかないわけです。
しかも、日本の院生だったら、授業料まで払っていて、なんら生活保障は貰えないし、ポスドクも将来的な社会保障はほとんどありません。会社なら平社員の給与なんてしれているでしょう。

部下が頑張れば頑張るほど、相加相乗的に自分のためになる上司。
どんなに頑張っても、報われるのは10人に1人の部下。


これはどんな世界でも決して変わることのない構造です。


部下を育てているんだから、厳しくしないといけない、否、褒めて育てるんだ、と色々意見はあるだろうけど、それはケースバイケースだと思うんです。厳しくした方が伸びる部下もいるし、褒めた方が伸びる部下もいる、両方混ぜた方が良い部下もいます。


それでも、絶対に変わらない事実があります。

上司にとって、部下が頑張ることは全部自分のためになるということです。


ということは、こういう言い方もできます。
上司は部下に対して100%感謝しても、それは100%意味のある行為です。
一方、部下は、100%感謝しても、10%しか報われません。(人間形成のお礼とかは除きます、逆も成り立ちますから。)

つまり、上司が部下に対していくら感謝してもそれは絶対無駄にならないということです。



アメリカはメールの最後に必ずThanksをつけるし、実際、そういう文化なので、実際にあって仕事を成果を見せれば、必ず最後に感謝の言葉が出てきます。言葉にあ・うんの呼吸や以心伝心があまりない(実際はかなりある部分もあるんですが)アメリカだからこそ表面的にやるべきことはシンプルに表現するようになっているわけです。

一方、自分の場合、日本にいた時のボスで、「ありがとう」を言ってくれていたのは、最初のMentorだけですね。話が終わった後、こちらがドアを閉める直前必ず大きな声で「ありがとーー」と言ってくれていました。その当時は、仕事に慣れるので一杯一杯で、ちょっと変わった人だなとしか思っていなかったけど、あれは本当は凄いことだったんだなと最近ようやくわかりました。そして、そんな日本人のボスに出会えたことを本当に感謝しています。彼は私にとって、最高の師匠であり、友人でもあるんです。



あなたの上司・PIは部下に対して「ありがとう」を言っていますか?