除染活動の本当の意味
ちょっと前になりますが、テレビで持ち家の除染作業に18万円払ったという家が紹介されていました。
何をするかというと、高圧ポンプを利用した噴霧器で家の壁や屋根を洗い流していました。液体に界面活性剤が入っているのかどうかわかりませんが、1年間雨で洗い流される効果のことを考えると、ほとんど意味がない作業ですし、そもそも原発近くのよほど高い値でもない限り外部被曝は健康によいので、やっていることは全く逆効果なのです。
では、そんなことは無駄だし、止めるべきでしょうか。
そうではありません。
除染活動にはちゃんと別の意味があります。
資本主義の本質とは何でしょうか?
資本主義とは本来価値のないものに価値を与えることの積み重ねです。
人によっては無駄と思えたり、別に苦でも何でも無いものをありがたがって価値を付けていく行為です。
そもそもお金なんて、ただの紙切れだったり、金属の塊に過ぎません。
例えば、原発事故も何もない、沖縄の家で同じ作業をして貰って、18万払う人はいるでしょうか?
いませんよね。
一方、福島から少し離れたところに住んでいる人はどうでしょうか?
お金を持っている人の中には正確な情報判断が出来なくて出してしまう人もいるのでしょう。
テレビに出ていた業者もこれが意味のある事かどうかわからないと正直に話していましたが、正しい知識を持っていない客なら満足して貰えます。
本当に危険であれば、18万は安いと思うけれど、全く危険でないと考えるとちょっと割高です。
しかし、こういう商売を成り立たせたという意味で危険厨のデマゴギーには意味があります。
結果、普段ほとんどお金を使わない高齢者世帯がそれだけのお金を払います。
但し、放射能に対する関心は徐々に失われていきますから、せいぜい2〜3年しか保たないビジネスです。将来的にパイもどんどん小さくなっていきます。
つまり、このビジネスは短期の景気回復剤であり、そこで得られた収入も所詮あぶく銭というところがみそです。普段では手に入らないような収入を業者は得られるでしょう。それらはハイテク家電機器、高級車、高級レストランなどで散財されます。これは福島を中心にお金がまわるということです。
さらに屋根の上にのぼったりしないといけないので、年寄りには出来ない作業です。
ということは、除染活動の本質は、お金に余裕のある高齢者から、若者への所得移転という側面があります。
そして、こういった方法で所得を得た人々は放射能に対する関心が一段落した後、どうするでしょうか。2、3年前は良かったとすんなり諦めるでしょうか。
恐らく、ちょっとした自然発症の子供のガンなどを取り上げて、恐怖をあおる側にまわるでしょう。さらに同じようにあぶく銭を得られる仕事を探すでしょう。でも、それはそれで構わないと思います。
真のユートピアとはどんな世界でしょうか?
私は男も女もあらゆる人が、あらゆる年齢から、あらゆることに挑戦出来る社会だと考えます。
実際に現場で除染活動をする人の大儀は色々でしょう。
本当に子供のことを思うなら、車の走る狭い十字路に反射鏡を付けることとか、ガードレールを増やす運動とか、子供の通学路に監視カメラを付けることとかの方がよっぽど効果的です。
中には金儲けだけの人達もいるわけです。
それを批判する人もいますが、私はそれで構わないと思います。
むしろ、どんどんいろんな怪しい人達が参入すればよいとすら考えています。
人が参入すればするほど、ぼったくり業者は駆逐されていきます。
除染活動は洗ったり、取り除いたりするだけですから、ほとんどごまかしようがありません。金額が高くても払った人が妥当な金額だと感じるなら問題ないわけです。
国や地方自治体がこんな無駄なことをするべきではないと思いますが、それすらもよしと考えます。
その結果、お金があぶく銭として業者に入るからです。
そして、その分、国の財政はますます圧迫されるでしょう。
財政がはじける時期が早まるかもしれません。
しかし、それは産業構造や収益構造ががらりと変わっていく時代の変化について行こうというバイタリティー溢れる人たちの予行演習みたいなものになりえるでしょう。
使うにしろ、稼ぐにしろ、資本主義社会において豊かさとはお金が動くことです。
大事なのは今までとは違うお金の使い方をどんどんしていくことです。
それが悪手でも何でも良いのです。崩壊と再生という過程の中でダメージを下げるには、硬直性からの急速な崩壊よりも、ちょっとした軽い崩壊を直前に挟んだ方が役立つからです。除染活動に数兆円!いいじゃないですか。それくらいブレがないと崩壊時のショックとダメージは計り知れないものになってしまいます。
まとめると、除染活動は
1.高齢者から若年層への富の再分配
2.学歴や過去の業績に依存しない誰でも始められる新規産業
3.財政崩壊後における再生の予行演習
といった意味があります。