「自分のアタマで考えよう」 の本当の意味

ちきりんさんの「自分のアタマで考えよう」を読了した。


私のそれまでのちきりんさんの印象は、よくそこまで階段を下りていちいち全部説明できるよなぁ、というのと、平易な文章で書かれているにもかかわらず、全く無駄がない文章という二つのものでした。


しかし、この本を読んで、そのからくりに納得できました。


ひとつは最初からまとめるつもりで組み上げているということと、
パズルのパーツをあらかじめ集めているという点です。


よって、足りないパーツが揃った時点で記事が出来上がるのでしょう。
それでも、説明できない点は、無駄がないところで、それは彼女自身の才能と鍛錬のたまものなのでしょう。



ただこの本を読んで、これからはこういう風にまとめていこうとか、心の棚を作っていこうとは全く思いませんでした。


実はすでに結構似たようなアプローチを取っているということもあります。
グラフを描いて説明するというのは、似ているアプローチなのですが、自分の場合はグラフを描いた時点がゴールとなるように思考しています。
また、事前に何かを思考して準備するのは出来るだけ避けるようにしています。
というのは、まとめに入るときに、活きの良いウナギのようなものの見方を閃くことがあるからです。それが浮かんだ時点で文字にしていく作業が一番面白いのです。
後から読み直すと行間の情報が多すぎて読みにくくなったりしていますが、それでも、活きた文章を読みたいと思って、普段から導入部以外は考えないように努力していますw


同じ理由で心の棚も出来るだけ曖昧な状態に保つようにしています。
ブログの草案としてメモすることはありますが、それ以外は出来るだけそういった情報は持たないようにしています。


理由は忘れてしまうからです。折角面白い話が展開できそうだったのにそのネタを忘れてしまったときのショックはかなり大きいのです。


そんなわけで、人によってアプローチは違うわけです。その意味で、ちきりんさんの本の宣伝RTや広告の文句を見て衝撃を受けるのは、あたかもこの本に書かれていることがHOW TO本として凄く役に立つという紹介文です。
この本はちきりんの日記をもっと楽しむためのモノであって、決して新しい思考法を身につけるための本とかではないわけです。


あとがきに書いてあった数学の問題の話ですが、自分の場合、ほとんど模範解答を読んだことがありませんでした。わからない問題にぶつかることはあります。そういうときはうんうんうなって、気分転換の後、ずるずると遊んでしまって、その日は全く勉強が進まなくなることがよくありました。それでも、答えは見ませんでした。
理由は1週間後くらい、ふとしたきっかけで答えを思いつくことがあるからです。その瞬間が一番楽しいのです。まさに今のブログのスタイルと同じです。


人によって思考の方法は違います。


ちきりんさんも表紙に書いています。「知識にだまされない思考の技術」と。
この本に書かれているのはちきりんさんの思考法という「知識」であり、ちきりんの日記ファンとしてそれを楽しむのが本来の目的です。


ちきりんさんはここでアウトプットの重要性や、方法論についてあえて触れていません。ある意味、この本に感心している人はちきりんさんに試されているとも言えますね。