【コラム】ネットと芸術

メトロポリタンにしてもスミソニアンにしても、一番多い展示物は宗教画。それも写実的なもの。


現代美術や印象派のように美しさを追求するのではなく、まずは写実的であろうとしています。


そのことからも、当時の絵画というのは現代のテレビであり、本であったんだなと思うわけです。遠い異国の地、辺境の地、都市部の様子、ご先祖の顔、キリストの顔や歴史的な背景など、識字率もそれほど高くなかった時代ですから伝えるのは絵が一番、それも色付きの絵が一番効率が良かったはずであり、それを所有することはまさにハイソサエティーにいる証だったのでしょう。



大昔は壁画、そして、絵画、本、ラジオ、テレビと変遷してきたマスコミュニケーションはネットへと変化してきました。



ネットが時空間を越えてきた過去のコミュニケーションと決定的に違うのは、空間的な移動を瞬間的に行えることでしょう。同時に双方向性というのも大きな特徴です。


しかし、同時に劣化している部分もあります。



時空間を越えるということは、未来の人ともコミュニケーションを取るということです。今、自分が未来の人とコミュニケーションを取るにはどうしたらよいでしょうか。それは情報発信をして、それを残すことです。ネット上でするのなら、比較的長期に残るであろうサービス上のウェブなりブログなりに記録を残すということです。



そういう観点から考えると、例えばブログサービスの場合、どこが残りそうでしょうか。消されないという意味ではストック場所そのものが生命線のグーグル、次に楽天とかでしょうか。とはいえ、こういった会社もせいぜい20年程度の歴史しかありません。そう考えると、紙として残すサービスというのもあなどれないと言えます。



で、この未来とコミュニケーションを取るという意味で、愕然としたのが絵画です。これらは100年以上前に描かれているわけです。当時の様子を知る視覚的情報が絵画しかないから価値があるのかいうと、そうでもありません。例えば、昭和の様子は当時のテレビ放送なんかを調べると出てくるわけです。しかし、それに芸術的価値があるかというないわけです。



ひるがえって、現代の私たちが残しているもので芸術的価値があるものはあるんだろうかとなるわけです。古典的な方法論での芸術はもはや創作というより物まねであり、亜流でしかありません。油絵に関しては私自身はGarmashがベストであると感じているし、より大きな可能性を感じますが、そうはいっても所詮は一つのアーティストでしかありません。



ということは、恐らく芸術という概念時代が過去の産物しか評価しない仕組みになっているんでしょう。とはいえ、劇的に技術が進歩した現代の方が芸術的産物の生産性が落ちているというのは何とも皮肉なものです。