【コラム】大学運営費交付金は必要なのか?

大学運営費交付金というものがあります。大学を運営していく上で必要なお金を政府がサポートして税金から出しているものです。平均すると必要経費の40%くらいがそのお金でカバーされています。

似たようなものに「雇用調整助成金」とか「中小企業緊急雇用安定助成金」とか色々ありますが、見かけ上の失業率を下げるために企業にばらまかれているお金があります。

また、地方交付税交付金として、地方の行政にも都市部で得られた税金が配られています。

これらはいずれも本来なら得ることの出来なかったお金が降って湧いたものと言えます。


こういった収入は得られる収入と効率化の相関性を崩しますから、何をすれば効率の良い研究教育環境が揃えられるのか、何をすればお金が儲かるのか、何をすれば無駄がなくせるのかといったことを阻害します。努力して良い成績を残してしまうと助成金が減ってしまうからです。そのため、事務方はぎりぎり損しない程度に無駄な仕事を増やします。正確には自分が必要になるように無駄な仕事を効率化しようとはしません。

本来なら、不必要な人員のクビを切って、ITを活用し、無駄を省けば助成金は要らないくらいまで効率化出来るところもあるはずですが、解雇規制もあってJAL夕張市のようにいよいよ潰れるという所までこないとそこまではしません。

さて、上記三つの中で助成金に頼らずにやっていける可能性が最も高いのはどこでしょうか?

企業のような気もしますが、物理的経済的には大学になります。

企業は研究のために銀行からお金を借りてもそれは儲けたお金で返さないといけません。

一方、大学は大学運営費交付金以外に科研費など別枠で研究費を税金から貰っています。
研究で得られた知のほとんどは世界初と言ってもよいものばかりです。


知は財なりと言います。
全ての情報は財産になり得て、かつ全ての売買は実は情報のやり取りに過ぎません。

捕ってきた魚を売る。市場で競り落とした魚を売るということは、買った方から見ると、魚を釣る手間+魚そのものの値段にお金を払ったように感じるでしょう。
売った方も同様です。釣ってきた手間賃+漁に出る必要経費とか、買ってきた手間賃+買った時の魚の値段で渡したと感じているでしょう。

しかし、実際はどこそこに行ったらこんな魚が釣れるとか、市場での相場はこんなものとか、情報の非対称性がサービス料+ものの価値を生んでいると言えます。魚本体は無料ですからね。

衣食住や娯楽サービス、全てのものが情報であり、経済活動とはそういった情報をお金に置換する作業とも言えます。

もちろん、情報には色んなタイプがあり、マネタイズのやり方も千差万別です。元手がかからない情報をマネタイズすればするほどお金は儲かります。一番酷いのはオレオレ詐欺でしょうし、最近のグリーやDeNAのやり方も似たようなものです。


そう考えると、大学は税金で研究して、世界初の知識をどんどん得ているわけです。
研究者はビジネスのためや金儲けのために研究しているわけではないというでしょう。

しかし、そこに圧倒的な知が集合しているのも確かです。研究者自身や事務方がやらないなら、外部委託しても良いわけです。マネタイズに成功したらその利益をいくらか大学に納めるというものです。

もっとわかりやすい例だと、ちょっと大学の設備を使って、ある物質の質量分析をするなんてのもあるでしょう。今でも企業との共同研究はありますが、ほとんどが大企業相手です。その敷居をぐっと下げるわけです。質量分析なんて、大企業なら出来るでしょうが、中小企業では無理ですし、民間にオーダーするとかなりの金額になってしまいます。そこをリーズナブルな価格でサービス提供するという方法です。まぁ、民業圧迫という面もありますが、質量分析機まで持って研究したいという企業は限られていますし、元々は税金で買ったものですからその税金を払った民間の会社が使えないのも変な話です。


これはほんの一例ですが、ありとあらゆる新しい知は必ずマネタイズする方法があります。
知は財なりで、本来大学は最もお金持ちになっても良いくらいの存在なのです。
アメリカではITなどで儲けた莫大なお金を母校に寄付する習慣があります。この場合、効率は悪いかもしれませんが、圧倒的な設備投資と人員補助ができるようになり、さらなる知を生み出す元となります。そういった贅沢な環境で学んだ学生がまた起業することでさらに財が生まれるわけです。Google の創設者であるラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンは最初マネタイズのことは一切考えていませんでした。しかし、後の時価総額はご存じの通りです。