【コラム】共同研究先の論文の方が質が高い教授の問題点

昨日の話を読み返してずっと気になっていた二人の教授の言動をどう読み解くかがわかった。

一人は、Nature, Scienceに載るような研究をするんだと口を酸っぱくして言っていたヒト。
言っていた当時は全くそんな論文は出ていなかったが、その後、2年おきくらいにNatureに載るようになった。

当時が功名心が強いだけのような印象を持っていたが、逆に言うと、そういう言動が目立つほど回りの教授にそれだけの強い意志や目的意識がなかったということなのだろう。
日本の教授は縄張り意識が強くて、なかなか自分のマテリアルを外に出そうとしない。それが結果的に学際的な研究を阻害して、高インパクトが狙えない構造があるんだけど、何のためにサイエンスをしているのかという原点に返れば笑止千万なことがわかる。

もう一人は、こちらもNatureを狙うと口で言うし、実際、時々CNSも出るけれど、それよりも共同研究でCNSが出ることが多い人だった。業績もトップレベルだし、言っていることもやっていることも無駄のない非常に質の高い教育をしていたんだけど、どうにもひっかかるところがあった。その強気の言動が反感を買っている以上の何かがあるような気がしていたんだけどようやくその意味がわかった次第。

共同研究でCNSに載った論文は基本的にノックアウトマウスを提供したことで載っているんだけど、名前はその教授だけが載っているわけ。それを作るために己の一生のリスクをかけた学生さんの名前は一切クレジットされていない。
それが良くないというわけではない。それがサイエンスだからと言うのは今まで散々書いてきた。

そうではなくて、そんなCNSに載るようなマテリアルを持っているのなら、何故自分のラボでその論文が発表出来なかったのか?ということである。

つまり、自分のラボで出した論文より、共同研究先の論文の方が質が高いようなラボの教授は自分には指導力がないとアピールしているも同然。凄く恥ずかしいことなのである。

それだけのマテリアルを作るように指導した。そこまではよい。しかし、それをどう活かすかのビジョンが無かったと自白しているも同然。本来なら恥ずかしくて、ラボのホームページにそんな論文は載せられないはず。なのにほとんどの教室は載せている。そうすることで、自分のラボを大きく見せられると感じたからだろうけど、中の人間にすれば、何故そういうテーマを最初から学生に与えなかったのかとなるわけです。