【コラム】ホームレスや乞食って、社畜や研究者よりずっと凄い生き方

(コメントの返事はしばらくお待ちください。ペコリ。)

さて、以前のコラムで研究者は乞食みたいなものだと書いたら、激昂した怒りのコメントを貰ったことがあるんですが、びっくりしました。まぁ、ミスリードするように書いた私も悪いのですが、そうか、みんな乞食はそんなにヒエラルキーの下の方にあると思い込んでいるのかと。
私に言わせれば、ホームレスや乞食ほど凄い生き方は無いと思うんですけどね。

例えば、日本のホームレスだと世界一安全な国であるにもかかわらず、寒さや飢えで命を
落とす可能性があり、高校生にぼこられて放火されて殺される可能性もあるわけです。こんな安全な国のはずなのにいきなりRPG状態ですよ。冒険ですよ。アドベンチャーですよ。
別にエベレストに登ったり、宇宙に行くことだけが冒険なんじゃないですよ。冒険というのはあくまで自己の意識の問題です。小学生が初めておつかいに行くのも冒険ですよね。それはその小学生にとって未知の体験をするからです。

例えば、道端に立って、「give me a change」と言っている自分を想像してください。
ほとんどの人は無視して歩き去っていきます。その人達がどんな風に見えますかね?
いろんな気持ちが去来すると思いますが、そのうち、そういう人たちが凄く小さな存在のように見えてくるような気がするんですよ。そして、それが私たちそのものなんです。

よく空き缶を集めているホームレスの人たちがいます。もうびっくりするくらい執拗にゴミ捨て場でアルミ缶を探します。それだけの勤労意欲があったら普通に働けるんじゃないかと思える熱心さです。もちろん、ほとんどの人が実際は職にありつけず、でも、少しでも働きたいからそれをやっているんだとは思いますが、中には普通の職場の人間関係の軋轢が嫌でそういう仕事をしているヒトもいると思います。もっと自由が欲しくてそうやっているわけです。

また、ホームレスの中には普通に仕事をできるだけのスキルがあるにもかかわらず、あえてそういう世界に住んでいる人もいます。もちろん、常識は通じませんから理解できない恐怖から逃れるために頭がおかしいんだとか、精神病だと片付けようとする人がほとんどかもしれません。でも、私にとってはそういう人って結構仙人に近い感じのイメージなんですよ。小説の影響もありますが、そんなこともあって、中高生の時は将来ホームレスになりたいなんて思っていた時期もありました。

自分のステータス、所有物、知識、能力がいかに他人頼り、社会頼りの儚いものであるかを自覚していれば、ホームレスや乞食という生き方は絶対バカに出来ないと思うのです。そこで得られる体験や感情は普通の生活をしているレベルを遙かに越えた強烈な刺激と価値観のドラスティックな変化をもたらしてくれると思うし、きっと自由の意味が全く変わってくると思うのです。自分は弱いからそんな生き方は出来ませんけどね。そういう意味で尊敬すらしている生き方なんです。