【コラム】日本人研究者の一番の問題点

ちょっと誤解している人がいるかもしれないので以前書いたことに補足しておくと、ギルドだからしょぼい仕事でも高IFに載るわけではありません。(ちょっと無理なデータで載ることはあるけれど、それを補ってあまりある別のデータが付けられていることが多いです。)ギルドといえど、その中での評価はシビアです。みんなを納得させるデータがあって初めて高IFの雑誌に載るわけですが、そのためなら何でもする(悪い事という意味ではありませんが、中にはそういう人もいます。)のがこちらで生き残っているPIです。逆にもの凄いプレッシャーを受けているとも言えます。
高IFに載るだけの仕事すれば載せてもらえますが、そのためには十分なマテリアルを集める必要があります。しかし、高名故にそういったマテリアルが非常に集まりやすいのがギルドのメンバーなのです。それに加えて、ユダヤ人が有利なのは非常に優秀であるだけなく、寄付を受けやすいという部分もあります。だって、もしあなたが200億寄付出来るとして、同じ日本人に寄付しますか?それとも、タイの研究所に寄付しますか?一番お金を持っている人種がユダヤ人であることを考えれば彼らの優位性はわかるはずです。

逆にガラパゴス化しているアジアのラボはそういったマテリアルが集まりにくいという問題があります。
日本の同業ラボと比べても圧倒的な業績を誇るアメリカの日本人PIが日本になかなか帰らないのはそれらが手に入らなくなるからです。ギルド圏内にいるからこそ手に入るものがあるわけです。

日本にいながら、ギルドと対等に渡り合うにはやはり彼らにすぐにはできないことをしなければなりません。コンセプトは簡単に盗まれますから、ものや技術であることが望ましいですが、ものは所詮証明するための道具に過ぎません。

よって、磨くべきは欧米人にはマネの出来ない技術ということになります。但し、技術自身が誰でも出来るように改善されていきますし、誰でも再現出来ないものは信用されにくいのでこの道を究めるのは難しいです。よって、オプションとして考えるか、さらに新しい技術を開発していく姿勢が必要です。

もう一つ解決法があって、アメリカのラボの2倍から3倍の実験をしないと高IFの雑誌に載らないのなら、2倍から3倍の仕事をすればよいという考え方です。
でも、これは反対。というのはすでに日本人は信じられないくらい頑張っているからです。
日本人の努力の量はほぼ限界ぎりぎりまで増えています。中には研究者になるなら子供は諦めろとまで言う人までいます。


しかし、一番の問題点はそこではありません。それなら、アメリカやヨーロッパでラボを持てばよいからです。


例えば、「AはDを介してIを引き起こす」という仕事をまとめようとします。
すると、このような仕事が必要になるとします。
1)Aの刺激を加えてBになることを確認する。
2)Aの刺激でCのような下流のシグナルがあることを網羅的に調べる。
3)Cの中にDがあったので、本当にDになるのかどうかを電子顕微鏡で確認する。
4)Dを失活させるEの系を使ってIにならないことを確認する。
5)さらにDを活性化させるFの系を使って、Iになりやすいことを確認する。
6)Eの系が動いていることを証明するためにFを確認する。
7)Fの系が動いていることを証明するためにGを確認する。
8)さらにAの刺激でGが動いていることをHで確認する。

見ているだけで気が遠くなりそうですが、日本でこれをやろうとするとどうなるか。
1)自分でする。Aも自分で作る。
2)自分でする。抗体が手に入らないので抗体も自分で作る。
3)近くの別のラボに頼んでしてもらう。
4)Eの系を自分で作る。
5)Fが手に入らないので諦める。
6)自分でする。
7)できない。
8)Hの系を立ち上げて自分でする。

これがアメリカでするとどうなるかというと、
1)よその大学の人が作ったAを使って自分でする。
2)人から貰った抗体で学生にして貰う。
3)別の大学のラボに頼んでしてもらう。
4)Eの系を作ったところから貰ってきて自分で調べる。
5)Fの系を作ったところで組織を採取して貰って、測定だけ自分でする。
6) Fが得意な同僚の人にしてもらう。
7)近くのラボのGが得意な人に一緒にしてもらう。
8)Hの系を立ち上げているところでしてもらう。
ちなみに一番時間がかかるのはEやFの系を作るところであり、一番難しいのはHの系やGの系を立ち上げるところです。


日本はスポーツを始め、子供の頃から結果ではなく、過程が大事だと教わります。
そのため上記のように何でも自分ですることに価値があると考えがちになります。特に一人前になるための大学院生の間は将来のためにもまずは自分でやりなさいという教育方針を取るところが多いし、実際、その方が一科学者としての能力は断然上がります。
ところが、こっちはまず結果が大事なんです。朝から晩まで働くことには何の価値もありません。当然、自分でやることにもほとんど価値を見い出しません。もちろん、物理的に自分で出来ることならチャレンジしようとしますが、出来なければ任せます。とにかく結果が一番早く一番簡単に得られる方法を採用し、トータルのコンセプトを管理しさえすれば場合によっては全く実験しなくても良いくらいの勢いです。
そのため、こっちの人は幅広いテクニックの細かいチップスに関しては、全然駄目。駄目でもスペシャリストに頼めるので問題ないわけです。要はコンセプト通りの結果が得られれば過程はどうでも良いのです。

つまり、日本人は頑張れば頑張るほど、本来のサイエンスとは逆のことをしている場合があるということです。

例えば、4年間かけてようやく樹立したノックアウトマウスがいたとします。
ところが、それを使って証明しようとしていたことが若干けちが付くけれどウイルスを使ってできることがわかったとします。その時点で折角樹立したノックアウトマウスを使わないという選択をできますか?1年目の学生と同じ出発点に立てますか?

また、そのノックアウトマウスを論文で発表した後、全く別のジャンルの研究者がマウスを譲ってくれと言ってきました。オーサーシップはなくて、ギフトのクレジットが付くだけだそうです。というのも、その研究は100以上のノックアウトマウスを比較する論文なのでいちいちオーサーシップを作った人にあげられないとのことでした。それでも快くあげますか?そのノックアウトマウスは作るのに1000万以上のお金とあなたの4年間がかかっていたわけですよ。最終的にあげるとしても、最初は悩むはずです。


大事なのは考え方を変えることと
トータルで自分の人生を客観視することなのです。

がむしゃらに頑張るが故に見えない。
何でも自前主義の日本の大学院教育は科学とは何であるかを見誤らせています。

ついつい自分たちが出来ることの範囲の中だけで考えてしまう癖がついていませんか?

苦労も努力も一切評価されないのがサイエンスなのです。

すなわち、最も楽な方法で、つまり、自分が一番苦労しない方法で、かつキャリアのトータルプランを考慮しつつ、アメリカ人の2,3倍仕事をする。これが日本のサイエンスがトップレベルに上がるために必要なことなのです。

しかし、不幸なことに日本人はマテリアルを作りことが大好きなんですよ。努力が大好きですから。日本で唯一世界レベルの研究ができているのが免疫学なのはそのマテリアルであるノックアウトマウスを作るのが好きだったからです。あんな時間のかかるハイリスクな仕事をこっちの人は好んでしようとはしません。


以上の話は別に研究者だけの話ではありません。会社で働く人も、経営者も同じ事です。
新しいことを発見することを儲けることに置き換えれば同じことが言えます。