【コラム】いじめの解決法

「いじめの解決法はいじめっ子を叱ることではなく、褒めることである。」

と思うのだが、そういやそういうメッセージを親や教師から受けたことが無かったことに気付いた。
どういうことかというと、いじめっ子というのは元々親からも褒められず、スポーツでも勉強でも芸術でも取り立てて目立てない子、もしくは期待されているよりもよい成績を収めていない子が中心となることが多い。あとはその程度によりいじめ度が上下する。

そういう子は自分の存在価値を確認するため、身近な誰かを自分より下の人間として貶めることでしかできない状態なのだ。往々にして子供の頃から親から褒められたことのない子がそういう傾向が強くなる。

一方、いじめられっ子は、身体能力や見た目が悪い子以外にも、いじめられっ子をかばった子、家が金持ちでそれを鼻にかけている子など誰でもいじめられっ子になる可能性はある。その特徴は、身体的に明らかに劣っている子か、逆に何かしら伸びている部分が目立っている子だ。正直、いじめられっ子にいじめられっ子にならないように教育する方が難しいだろう。

そのため、一般的にいじめっ子もしくはその親を制裁する教育がなされやすいが、実際はその逆でそういういじめっ子は褒めて、抱きしめてあげるべきなのである。そうすることで例え際だった能力が無くとも自分が親から必要とされていること、自分に存在価値があることが実感でき、わざわざ他人をいじめて貶める必要がなくなる。核となるいじめっ子が無くなれば、卑屈度の程度が低い子は積極的にいじめに参加はしなくなるだろう。

こういういじめの構造があるので、選抜された学校やクラスに通っている子供の中では比較的いじめが起こりにくい。ほぼ全員にエリート意識が多かれ少なかれあるからもういじめをしてまでそれを実感する必要がないからである。

アメリカの教育は元々褒める教育である。誰かがトップでそれ以外は駄目といった評価ははしない。どんなレベルであって、上手くいけば褒める。まるで、一番を取ったかのように褒めるし抱きしめる。それでも、現実に自分にはそこまで優れた能力がないんだということに気付いた子がやはりいじめをするが、日本に比べたら格段に少ないだろう。

また、トップの子に対する教育も異なる。日本だとエリート意識だけが強くなって、それ以外のヒトに対する態度に関して取り立てて教育は行われない。しかし、アメリカでは自分に余裕があればどこまでも相手に気遣う態度を取れることができる人間だという強いメッセージが大人から発せられている。そのため、トップの人間ほど他人を気遣う態度が取れる。その態度に若干の嘘くささや偽善臭さを感じつつも、じゃあ日本人でこれだけの態度を取れるトップの人間がいるかというと皆無だろう。

アメリカの会社だと、例えばエレベーターを待っている社長が初めて見かける掃除のおばさんと談笑することなどざらだと想像できる。ところが、日本の社長さんでそういうヒトはどれだけいるだろうか。アメリカは成り上がりの国ではなく、むしろ逆で勝った者が勝ち続けられるように作られた国である。しかし、金持ちにしろ、貧乏人にしろ、同じ人間で与えられた役割が違うだけという割り切りがしっかりしているので、上とか下とかの観念に捕らわれることなく話ができる。ところが、日本は同質社会であるため、むしろ、上とか下とかの差別化を積極的に意識するような社会構造であるため、たとえ上記のような例で談笑していても互いに上下関係を強く意識しているはずだ。

この問題は日本だと結構至る所にあって、出る杭は打たれるも基本的には同じ問題が根幹にある。話が最初からずれてしまったが、教育という部分でまとめるとすると、いじめっ子やエリート意識が強すぎる子にしないためには、アメリカのような教育ができない以上、褒めて自信をつけさせることだけでなく、ずば抜けて高い能力を持っているわけでない子供達の魅力を肌で感じさせることも大事である。それには、小学生の間はむしろ普通の公立に入れた方が良いという考え方もあるという話。