【コラム】Twitterの役割と欠点

Twitterの本質は、時空間的な制限を受けないコミュニケーションでありながら、結局、投げっぱなしでまとまりがない井戸端会議みたいなもの。誰が正しい意見かも判断できない。ほぼ吐き捨て場。だからこそ、気楽に発言できる部分と、名の知れた人は気を遣って発言しないといけない部分がある。結局、自分のポジション表明が限度でそれ以上のことできない。ポジションが決まっていない人にその取るべきポジションを末端の人がコンタクトを取って教えてあげられるという点が唯一の利点。

そういうコミュニケーション以外の役割としてはバケツリレーくらいだろう。ただし、これもマスメディアの視聴者数に比べたらその数は非常に少ない。むしろ、大口のネットワーク同士をつなぐ役割といった方が正確だろう。つまり、例えば、2000のRTが付いたネタがあったとして、それだけでは所詮2000人のフォロワーの数だけしか広がらない。しかし、その中に一日30000PVのブロガーがいてその人がそのネタを取りあげれば一気に広がることができる。

とはいえ、その割に情報を網羅しているわけでもなければ、系統立っているわけでもない。
誰も系統立てようなんて思っていないから当たり前。

系統立てようとしたらそれらの情報を持った個人でやるしかない。
もちろん、一連のtweetまとめサイトやタグはあるけれど、同じ意見の言い換えが並んでいる場合がほとんど。意見を集約すると恐らく1/10以下になる。しかも、それは読んでいる個人それぞれでしないといけない。この辺が全く持って無駄なところ。

人の関心を惹き付ける意見にはいくつかパターンがあって、
一つはある価値観を守るためのポジショントーク、当然意図的または無意識に不利な情報には触れないようにしている

一つはそれに対するカウンターパートで、ある価値観でのポジショントークの欠点を指摘するもの。その意見に信憑性、もしくは穴がなければこっちの方が信じられやすい。一度裏切られているからそれはないだろうと思わせるが実は結局一つ目と同じ事である

一つは上に近いけど、全く気付かなかった物の見方

もう一つは上の意見をもっとマイルドにしたもので気付いていたけどあえて言葉にしたことはなかったことを綺麗にまとめたもの

あとは知らなかった分野のことをちゃんと説明したもの

ものの解決法に関しても、上記の5つそれぞれに則したパターンの意見があるだろう。
Twitterはこれらの意見が順不同に行ったり来たりしているわけだ。

140字という字数制限が書き込みの敷居を下げた結果、各論は結構出てくるけど、穴がどれだけあるかわからないし、まとまった意見としてまとめられることもない。よって、その流れの中からある意見の元集結した集まりができるなら意味もあるだろうが、そうでなければ実はあまり生産的な活動ではないと言える。

自分の専門分野のtweetでも、とても実りあるものとは言えないからね。その意味で、意外と利用率の高くないインターネットがもっと普及したとき、および既存のテレビや新聞と行ったメディアがつぶれたときに実はもの凄く大きなビジネスチャンスがあって、それはtwitterではない。そのことに気付いている人はすでに動き始めているけど、これは実はそれなりに誰でも始められるものだったりする。