【コラム】自殺を防ぐ教育サービス

あごが痛いのを我慢して書いていたせいもあるが、昨日の自分は何を書きたかったのだろうかw

ということで、本当に今から考えてみよう。

日本に住んでいる外人って何であんなに日本語が上手いんだろうね?
大抵5-6年住むと、かなりしゃべれるようになっている。

では、一方、アメリカに5-6年住んで同じくらいしゃべれるようになっているかというとそれはない。

日本語は他の言語とルールがかなり違うからというのが、英語が出来ない言い訳で一番使われるものだが、では、何故外人さんはあんなに日本語がじょうずなんだろうか。
理由として考えられるのは、日本って極端な方言がかなりある。逆に言うと、それくらいくずしても成り立てる言語な訳。英語にもなまりはあるらしいけど、言葉や単語そのものが変わる訳じゃない。ところが、日本語の方言だと言葉そのものが変わる。さらに動詞も主語も目的語も順序がばらばらでも問題なく理解できる。それだけ許容範囲の大きい言語とも言える。

言葉がこれだけルーズだからこそ、行動の方に一定のルールを求めるという見方も出来る。
だからこそ、逆に言葉をもっとルーズに出来る。外来語もどんどん取り込めるのかもしれない。それだけ言葉が変わっても、行動のルールが一定だから誤解が少ないのだ。

さて、本題について考えてみたですよ。

要するに今は生徒のセグメント化が進みすぎて、ある一定の範囲から外れることを恐れるようになっているのが原因ではないかと思うのです。ずっと、自分と同じくらいの学力、生活力、経済力を持った人達と暮らしているためそれから脱落したときに、それイコール人生の終わりと感じやすくなっているのではないか。逆に言うと、上の世界がどんなものかもわからないからマスコミや漫画や映画や小説やテレビの世界を丸呑みしてしまい、自分の中の目標として現実的な再構築が出来ない。勢いお金が手に入るとステレオタイプな贅沢をしてみるけれどなんか自分にしっくり来ないみたいなことになる。

こういったことを解決するのはやはり人との出会いです。
もっと下の人、もっと上の人、自分と同じ位のレベルだけど全然違った環境で育っている人、そういった人に出会うことで人生にはもっと色んな選択肢があるんだということを肌で感じさせることです。

やり方は色々あります。
運動会を隣の学校と同時開催する。
修学旅行を別の学校(県外でも可)と一緒にしてホテルの部屋も半分半分で交流する。
場所が近くならクラスのメンバーを半分ずつ交換するのもありでしょう。
スポーツや文化クラブの合宿を共同でする。
ネットを活かして、全国の見知らぬ人とチームを組まして問題に取り組ませる。さらにその問題を作ることもさせればあとはネットワークを用意するだけでできます。今時、学校にPCは沢山あるでしょうからやろうと思えばできるはずです。

とにかくイベント毎に同世代の色んな人との出会いをつくり、さらに半強制的にコミュニケーションを取らせる。子供の頃から他のコミュニティーと連絡を取って協力して何かに取り組むことをやらせておけば、それが自ずと大人になってからもより発展した形で取り組めるでしょう。

勉強に関していえば、勉強自身は自分でするものとこの間書きました。大事なのは自分と同じくらいのレベルにいない上下のセグメントの子達がどういう勉強をしているかを知ることです。

教育にとって一番大事なのは他の人がどれくらいしているか、どれくらいできるのか、自分達と何が違うのか、それを肌で感じることです。それが翻って自分に出来ること、出来ないこと、やるべきことを見出すヒントになるはずだからです。

結果的に大人になって壁にぶつかっても、あぁ、このハードルはもっと下げることが出来ると自然に感じることができるようになるのではないでしょうか。