【コラム】科学者は物乞いしているという意識がなさ過ぎる

といっても、日本の科学者ね。
日本の研究者は給料も研究費もほとんど税金でまかなわれている。アメリカだと寄付という形があるが日本ではほとんどない。

ということは、研究室の規模にもよるが、国民一人一人に年間1円とか30銭とかのお金を出して貰って自分の好きなこと(だけ)を調べているわけ。

この金額を高いと考えるか安いと考えるか。
少なくとも国民および世界中の人々のためになることを明らかにしており、その価値が一人当たり1円を越えるようなら安いものといえるだろう。

そう考えると、意外と簡単にクリアできそう。むしろ、もっと貰っても良いんじゃない?とか思いそうだが、あくまでも平均して1円だからね。


さて、研究、特に基礎研究の9割以上はほとんど直接的には人の健康増進に全く寄与しない。巡り巡って、そのうち役に立つときが来るというものが1割もあればよい方か。むしろ、研究とはそういった見返りを求めるものではない。人なら誰でも持つ未知なるものへの探求心の実践に過ぎないという考え方もある。

いずれにしても、自分の好奇心に従って好き勝って追い求めているだけであることに変わりない。

アメリカの研究者と日本の研究者の決定的な違いはその成果をちゃんと国民に還元しているかにあります。
研究成果は大抵学術雑誌に発表されるわけですが、そのほとんどが英語で書かれています。
つまり、アメリカでは論文を発表する=研究成果を国民に還元するということなのです。
少しでもサイエンスに対してリテラシーがあれば、それにアプローチすることは可能です。ネットではお金を払わないといけませんが、大学の図書館に行けばその論文に目を通すことは可能ですし、NatureやScienceなら商業誌として普通に読んでいる人もいます。

一方、日本ではどうか。研究成果は論文の発表で評価されますから、論文は発表しますが、それらが日本語で説明されていることはほとんどありません。お金に余裕のある一部の研究所は人を雇って解説していることもありますが、一般の公立校や私立校のウェブサイトで研究成果が詳しく説明されていることはほとんどないわけです。

これでは何をしているか分からないということで、研究費を下げられても文句をいえません。つまり、ちゃんと働けるのに働かず、一切見返りを返さない健康なホームレスみたいなものなんです。
国民全員に対して、
「ちょっと好きなことをやりたいけん、お金1円ほど恵んでくれんか、好きなことの結果?、あんたらには教える暇がないわ」
というのが、今の日本の科学者の実態です。

ということは、日本に足りないのはそういった科学の成果をある程度のボリュームでちゃんと日本語で説明する機関なり、グループなり、人員なわけです。恐らくそこの底上げがちゃんとなされれば、他の分野に関して何が足りないのかが科学者自身にもわかりやすくなるので、お金をかけた割に低レベルの研究しかできていない日本の科学のレベルももう少し上がる可能性があります。今の状態はそれぞれの研究者がそれぞれの蛸壺で勝手に好きなことをしている状態なわけです。その研究手法やアプローチがそのテーマに対して果たして適切であるのかどうかすら全く見えない状態な訳です。見えないから誰もつっこみを入れられない。

どうせポスドクが山ほど余っているんだから、そういうヒューマンリソースをそういったところに当てればよいのに…それを大学院教育の教材にしても良いわけだし。